天然パーマ。誰が名付けたのか、この絶妙なマヌケな響き。
元来「天然」とつくものは格上感が出るのが相場だが、天然パーマだけは違う。明らかに人工のパーマがあった上での対義語で、格下感半端ない。
天然氷はありがたい。天然水もしかり、天然鰻など超高級品の代名詞ですらある。天然芝はテンションが上がるし天然記念物など国宝扱いされている。
ところが天然パーマときたらどうであろう。うっそうとしたジャングルのようなまとまりのない膨張感を連想させる。これが英語のままナチュラルヘア、カーリーヘアだったらイケてる感がグッとあがる。
同じ構成の言葉でもモノであれば何ら問題ない。温水プールや枕カバーは何ともない。むしろ親近感が湧く。だが外見に関わることは残念感がじんわり滲み出てくる。髪型という外見にとって非常に大事な要素にこのおマヌケ感は致命的だ。
そんな事より何より一番悔しいのは天パの持つ哀愁、残念感、ガッカリ感を見事に表現している所だ。改めて思う。これを名付けた人は天才だなと。
僕の人生は天然パーマと共にあったと言っても過言ではない。人格形成のかなりの部分をこやつが占めていたと思う。親と同等か時にはそれ以上かも知れない位僕に影響を与えてきた。
思春期に直毛でサラサラで自然なボリューム感の髪であったらきっともっと直接的なナルシストになっていただろうし、「いいなー、俺ストレートだから自然な感じのパーマかけたいんだよね。」などとほざき倒して、気の弱い天然パーマの諸君を蹂躙する様な悪事を働いてたんだと思う。
言っておくが天然パーマはパーマではない。少なくとも貴様らが思うような代物ではない。サラサラストレートな青瓢箪どもには到底扱えるしろものではない。むしろ病に近い。
完全に独断と偏見だが天パで根が明るいやつはほとんどバカだ。
そんなこんなで、新しいカテゴリーとして天然パーマを題材として自分の過去を書いてみることにしようと今決めた。
天然パーマに関しては赤裸々に書いていきたいので通常の記事とは違って、敬体でなく、常体で書いていこうと思う。
ま、どっちだってさして変わらんのだけども。いつも敬体で書いているとこっち側の自分が出しづらくなってくるので、素の自分を出すためにも新しいカテゴリーとしてみよう。天然パーマで本を書きたい。高校生の時に描いたまるで己の毛髪のように屈折した夢を実現できるいつかその日まで。
縮毛矯正クリーム 120g 価格:1463円(税込、送料別) (2020/12/8時点)楽天で購入 |
コメント